このたび訪問したのは、府中街道沿い、中原小学校と等々力緑地のちょうど中間、
目にあざやかな青色と白のひさしが目印の、昔ながらの駄菓子屋さん「ことりどう」
ポップでありながらもどこかシブい店構えに、ひとまず店先で悶える。
90年のあゆみ、「小鳥堂文具店」が駄菓子屋「ことりどう」になるまで
もともと御歳88になるご主人のお母様が戦前より切り盛りされていた「ことりどう」
小学校の真隣という立地もあって、はじめは文具店としてオープン。
その頃は店の前が畑と林で、いつも「小鳥」のさえずりが賑やかに聞こえる場所で、そのことが店名の由来になったとか。すてき。
戦争のとき、5年ほど休業を余儀なくされるも、店構えや商品を少しずつ変えながら、今日まで続いてきました。
90年の年月を経て
「小鳥堂文具店」→「ことりどう」(現在)に。
あかるく味わい深い店内
それほど広さはないものの、間口が広く、通りから店内のすべてが見渡せるオープンな間取り。
品揃えは、馴染みのある王道駄菓子を中心に。
昔からあるものをなるべく変わらず出すよう心がけているそう。
とは言っても、中には製造中止になってしまう駄菓子もやっぱりあって、店にはそんなかつての名駄菓子たちを惜しむ記事も。
長年のお付き合いへの感謝と、製造者へのリスペクトが感じられます。
新しいものをどんどん取り入れていくお店もある一方、“変わらないでいること”って、なかなかけっこうむつかしい。
そんな店内のあちらこちらには、「ことりどう」の歴史と、愛されてきた足跡が垣間見えます。
雑誌や新聞の取材、胸の温かくなるお礼の手紙やサインがそこかしこに。
90年というと、馴染みのお客さんも三代にわたる。
長くやってきて、幾度かお店を畳もうと考えたこともあるそうですが、こんなに愛されていたら、なるほどおいそれと畳むわけにはまいりません。
町の駄菓子屋さんが存続していく道…
それは、我々が日頃からいかにその店への定期的且つ熱烈なラブコールを送り続けるかにかかっていると言っても過言ではありません。
むろんラブコールむなしく惜しまれつつも泣く泣く閉店…という場合もあるわけですが(´;ω;`)ウゥゥ
しかし「この店に来るのを楽しみにしている子どもたちがいる」
という事実は、お店にとって何よりも強い後押しとなるはずだと、信じたい。
駄菓子屋・ことりどうは川崎フロンターレのお膝元
実は「ことりどう」、お店の目と鼻の先に、川崎フロンターレのホームグラウンドがあるんです。
だからかーーー(さりげなくお店に並ぶフロンターレグッズたち・・・!)
ご主人と奥様も、フロンターレファンとのこと。
おふたり揃ってよく試合も観にいくんだとか。(仲良し。)
でもずっと見ているのは奥様曰くちょっとくたびれちゃうらしく・・・
「私は途中で帰ってきちゃうの(笑)半分見たらジュウブン」なんだそう。
・・・こ、後半戦は????)^o^(
マァ、いっか。
でもホント、それくらい「すぐそこ」にあるんです。
もう一度言っておきたい
みんな、最後にもう一度。このエントランスの愛らしさを見て。
青色と白の配色で織りなされるこの絶妙な落ち着き、品の良さ。百点です。
嫌味のない可愛さというのかな、ベストオブ入り口。
空に映え、景観に馴染む最高の店構え。
最初見た時「ことりどう」の文字と、ひさしの青とが相まって、ふとメーテルリンクの「青い鳥」を思い出してしまいました。
そうそう、幸せってのは、案外こんなところにあるんだよね。 ってね。
みんなが考えているより、ずっとたくさんの幸福が世の中にはある。
たいていの人は、それを見つけられないだけなんだ(モーリス・メーテルリンク著「青い鳥」)
【基本情報】 |
素敵なご夫婦!今は販売されていない駄菓子に想いを馳せられるのも良いわ!
手塚 みつ子
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