商店街の角を曲がれば、平台に積まれた駄菓子たち。
あいにくの雨でしたが、今回訪れた海南堂さんは地元ではとても歴史の長い有名店。
おそるおそるお店の中を覗き込めば、棚のそこかしこに駄菓子がぎっしり。
圧倒される僕を、店主の立川一重さんと娘の千津子さんが笑顔で迎えてくれました。
尼崎・杭瀬を語る上で欠かすことのできない駄菓子屋
「昭和28年からやから、店はもう70年ぐらいやってるよ。戦後はここらはもうずっと闇市で、昭和50年ぐらいになったら、みんな綺麗な商店に変わっていったけどな」
そう語る店主の立川一重さん。しかし、このときはまだ一重さんと千津子さんが親子だと知らず……
貝田「……すみません、えーと」
千津子さん「娘です」
貝田「あ、お嬢さんなんですね」
千津子さん「私が三代目で、あっちが二代目です」
以前、取材を受けたという地元のフリーペーパーを見せてもらったら、一重さんはその当時で76歳! 戦後の話から始まるはずです。
他にも尼崎の戦後を特集した写真集に当時の店舗が写っていたり、神戸新聞の取材があったり、海南堂はこのあたりでは欠かせないお店だということが分かります。
店内には阪神タイガースの選手のサインや、人気タレントさんの写真もたくさんありました。
「昔はもうみんなバラックで店やっててな。そんな時代やったで」
そこまで言うと、一重さんは用事があるらしく外出。続きは千津子さんが聞かせてくれました。
個人店共通の悩み「跡継ぎ問題」
個人の販売以外に卸もやっているらしく、最近はお菓子屋さんだけでなく駄菓子バーをやっているお客さんが仕入れにやってくることもあるんだそう。
千津子さん「子どものお客さんは、幼稚園が終わる昼の2時くらい、小学生が4時、中学生が5時くらいに来てくれるかな」
貝田「いろんな方がこられるんですね」
千津子さん「あとは昔子どものときに買ってくれてたお客さんね。『覚えてる?』ってのぞいてくれる子もいるよ」
話し方や仕草から、それが誰かすぐにわかると言います。大人になっても面影って残っているものなんですね。
そんな話をしていたら体操服を着た中学生らしきお客さんが・・・。千津子さんの娘さんだそうです。
貝田「すでに四代目が?」
千津子さん「やってくれるかどうか、わからないけどね(笑)」
跡継ぎ問題は周辺の個人店でも悩みのタネらしく、すぐ近くの商店街では80代で頑張っている方もいるとのこと。
そう考えると、三代続いている海南堂さんがますます貴重に思えてきます。
駄菓子屋激戦区!生き残りをかけライバル店の情報は子どもたちから
「うちも厳しいよ。スーパーやコンビニ、あと100円ショップにも置いてるしね」
特に大量に仕入れて安い値段で販売するスーパーは頭が痛いとのこと。
たとえ10円、20円でも同じ商品で値段が違うことに対して、お客さんはとてもシビア。
それは子どもが相手の駄菓子でも同じなんだそうです。しかもお店から1、2本離れた筋にはお菓子を専門に扱うチェーン店が2店舗あり、海南堂も生き残りに必死です。
「偵察かな、と思うことはあるよ。それでこっちも行ってみたら、知らんあいだにうちと同じのが置いてあったりね(笑)」
敵もさる者のようです。
この記事を読んでくださった方は、なるべく海南堂で買ってくれると嬉しいです。
よろしくお願いします。
懐かしくて貴重な光景が残る軒先
「子どもらが言うてくれるのは『ここはブタメンのお湯を入れてくれる』ってことかな!」
なるほど。でも、それって大事なことですよね!
昔は駄菓子屋の軒先でたむろする子どもたちの姿が、どの駄菓子屋でも見ることができました。
海南堂では今もその頃の光景が当たり前なんだそうです。
駄菓子屋はただ買うだけじゃなく、子どもたちだけの秘密の社交場。
親や先生には内緒の話も、駄菓子屋のおっちゃんやおばちゃんにはできたものです。
子どもたちのためにも、ずっと続けて欲しいですね。貴重なお話ありがとうございました!
基本情報 |
4代目、5代目と続いてほしいわ!ブタメンのお湯があるのは大事!
貝田孝一
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