今回訪れたのは東京・阿佐ヶ谷。
お隣には学生やサブカル系の人々で賑わう高円寺。
数駅進むと住みたい街ランキング上位に毎年君臨する吉祥寺がありと、周囲が様々なカラーで盛り上がりを見せる中、阿佐ヶ谷は何色にも染まらず落ち着いた雰囲気。
さしづめ”中央線の良心”といったところだろうか。
とはいえここはここで劇場と映画館、レストランが一緒になった趣ある建物「ラピュタ阿佐ヶ谷」があったり、大規模な七夕祭りが行われる商店街「阿佐ヶ谷パールセンター」があったりと、知る人ぞ知る観光名所でもある。
さて、そんな阿佐ヶ谷で地元の人のみならず、遠方からわざわざ訪れるほど多くの人々から愛される駄菓子屋さんがある。
この日は取材のアポだけ頂く予定だったが、急遽お話を聞かせていただけることになった。
大変ありがたい。
駄菓子屋「やなぎや」、始まりは駄菓子なし
お忙しいところ急にお邪魔してしまったので、日程だけ決めて後日改めて伺おうと思ったが、手を止めてお話を聞かせてくださった。
店主「お店が始まったのは昭和4年で、元々はするめとか、干物を販売していたんですよ。」
しょ、昭和4年?!
(スマホで調べて)1929年ですか・・・
店主「そう、先代がその頃始めてね。昔は店の前の道路がもっと狭くて、車が2台やっと通れるかっていうくらいだったの。※
このお店も元々今の半分くらいはお庭だったんだけど、昭和43年に工事してパンをはじめとした、醤油とか油とか、そういう食料品を売り始めたんですよ。」
※現在やなぎやさんは早稲田通りに面している
なるほど、最初は干物でその後はパン等の食料品を販売されていたんですね。
その頃はまだ駄菓子は売っていなかったんですか?
店主「うん、その頃はまだ駄菓子は売っていなかった。でも近くに続々と大きなスーパーが建ち始めてね。食料品が売れなくなってきたんですよ。
で、そんな時に、昔から子供が好きだったからみんなが喜ぶ駄菓子の販売を始めたの。それが具体的にいつだったか、もう覚えてないけどね。」
その後はパンなどの食料品販売はやめ、駄菓子一本にシフトしていったそう。
辺りを見渡すと世代を超えて愛される王道駄菓子が店内を彩る
これだけの数を揃えるのはおそらく並大抵のことではないが、子供たちの笑顔が見たいからこそなのだろうと感じる。
川崎から駄菓子屋を求めて”チャリできた”
放課後はみんなで駄菓子屋に集まる、そんな光景が昔は当たり前だったようだが今ではあまり見かけない。
今はどちらかというと「懐かしさ」を求めた大人が週末フラッと立ち寄るイメージが強い駄菓子屋さん。
いろんな駄菓子屋さんに行くと、最近はお客さんのほとんどが大人になってきたと聞くのですが、こちらのお店ではどうですか?
店主「そんなこともないよ。近くに学校もあるし、平日は学校が終わる16時ごろになると子供たちの自転車でお店の前が埋め尽くされるね(笑)
昔はこの辺もたくさん駄菓子屋があったけど、今はうちくらいしかないから。
”冒険”なんて言って、川崎から自転車で来る子供もいるくらいだよ。」
か、川崎から自転車で・・・・?
ちょうど筆者、この日の午前中は川崎にある駄菓子屋「ことりどう」さんで動画取材を終えた後にやなぎやさんに伺っていた。
川崎から阿佐ヶ谷まで電車移動するだけでも大分くたびれたのに、自転車で訪れる猛者がいたとは。
でも、どれだけ遠くても「行きたい」場所であるってこと。
駄菓子屋さんがかつてほど身近な存在でなくなった今の時代の子供たちだからこそ、不思議な、ワクワクする場所を見つけた時の喜びも人一倍なのかもしれない。
駄菓子屋で育まれた絆は時を経て
店主「でもね、駄菓子を売り始めたばかりの頃のお客さんが子供とか、孫を連れてきてくれることもあるのよ。
もう50年くらいの付き合いってことになりますね!」
駄菓子屋で育んだ絆は自分の世代だけで終わらせないのが、駄菓子屋文化の真骨頂。
子供達の笑顔が見たい、ただそれだけ
そうそう、駄菓子業界と駄菓子屋さんを悩ませる”増税問題”も忘れてはいけない。
これは8%だけど、あれは10%。
こっちは食品だけど、あっちは玩具。
売り手だけでなく買い手であるお客さんもが混乱しているのが現状。
増税で多くの駄菓子屋さんが苦労されていると聞きますが・・・
店主「そうですね!(駄菓子を指差して)あれは8%で、これは10%なの!複雑ですよね!
でもうちはお客さんから消費税取ってないから!」
あっけらかんと笑う店主。
店主「私たちはただ子供達の笑顔が見たいだけだから!儲かってるのか儲かっていないのか分からないわねこれじゃあ!」
お客さんから消費税を取らないという駄菓子屋さんは多い。
”子供たちが欲しい駄菓子を買えなくなったら可哀想だから”
その想いに胸が熱くなるが、一方で国の施策に苦しめられている駄菓子屋さんを見ると少し複雑な気持ちになる。
自分たちにできることは、取材を通して少しでも多くの人に駄菓子屋さんの魅力を発信することと、大好きな駄菓子屋さんにたくさん足を運んでお買い物すること。
それしかできないが、少しでも力になりたい。
ご近所なので、プライベートでもたくさん行くよ
今度動画撮影もさせていただけることになった。
一応この取材と動画撮影は仕事なのだけど、筆者はここからわずか2駅しか離れていない西荻窪住み(現在は引っ越してしまったけれど、中央線はしょっちゅう使う)なので、普通にプライベートでもフラッと行きたい。
やなぎやさん、お忙しい中取材に応じてくださりありがとうございました。
【基本情報】 |
本当に素敵な空間!
遠くから訪れる方がいるのも頷けるわ!
今野 隆吾
最新記事 by 今野 隆吾 (全て見る)
- 駄菓子屋メディア運営会社が1日限定駄菓子屋をやった話 | だがしやあなざーぱす - 2024年8月7日
- 板橋区赤塚新町の駄菓子屋『うお菓子屋』| 夏はみんなでめだかすくい! - 2024年3月2日
- お好み焼きが美味過ぎる西新井の駄菓子屋『ひばり』に行ってきた - 2023年6月18日